角田裕毅 記録にも記憶にも残る「100戦目」の重み【日本人ドライバー参戦数ランキング】
2025/06/20
2025年、F1第10戦カナダGP。今季途中からレッドブルへとステップアップを果たした角田裕毅が、ついにグランプリ100戦出走を達成した。かつて「シートを守るのがやっと」と言われた日本人ドライバーが、今やトップチームで記録を塗り替える存在となったのだ。そんな角田の節目に、これまでの日本人F1ドライバーたちの「出走数」という観点からその足跡を振り返りたい。
レッドブル栄光の歴史 歴代ドライバー獲得ポイントTOP10【F1】
F1の舞台に日本人が初めて姿を見せたのは1970年代中盤。ただ、これは日本グランプリに合わせてのスポット参戦が中心であり、本格参戦は1987年の中嶋悟まで待つこととなる。その中嶋悟は、ロータスでアイルトン・セナの同僚となってからティレル移籍後の1991年まで通算80戦出走(日本人4位)しており、最高位は4位。4位に入った1987年イギリスGPでは12番グリッドから雨中の追い上げで4位躍進、ホンダ・エンジンによる1‐2‐3‐4フィニッシュという快挙の立役者となった。
中嶋に続けと、翌年の1988年からは鈴木亜久里が参戦。レギュラードライバーとしてザクスピードから参戦した1989年には全戦で予備予選落ちという悪夢を味わったが、ラルースに移籍した1990年は本来の実力を発揮し、日本グランプリでは日本人初となる、3位表彰台を獲得した。通算参戦数は72戦(日本人6位)。
亜久里と同時期に活躍した片山右京は「カミカゼ右京」のニックネーム通り、常にアグレッシブなドライビングスタイルは多くのファンを魅了した。特に1994年は予選で毎回神がかった走りを見せ、TOP10に入ること8回(当時は全16戦)、特に第9戦ドイツグランプリ、第10戦ハンガリーグランプリでは予選5番手を獲得。日本でも大きな驚きと共に、日本人初優勝の夢が膨らんだが、資金難にあえぐティレルが故か、メカニカルトラブルでリタイアを頻発、夢は夢のまま終わってしまった。通算参戦数は96戦(日本人2位)。
2000年代に入ると、日本人初優勝の夢は佐藤琢磨に引き継がれる。2004年にB・A・Rのレギュラードライバーに昇格すると、第3戦バーレーングランプリでは予選・決勝共に5位、そして、第7戦ヨーロッパグランプリでは、日本人初となる予選2位・フロントローを獲得する(決勝はリタイア)。インディアナポリスで開催された第9戦アメリカグランプリでは、日本人2人目となる3位表彰台を獲得し、当時最強を誇ったフェラーリに次ぐ、コンストラクターズ2位に貢献した。通算参戦数は91戦(日本人3位)。
2009年に突如トヨタからスポット参戦を果たした小林可夢偉は、ザウバー移籍後の2012年に大躍進、第12戦ベルギーグランプリで予選2位・フロントローを獲得し、日本のファンを驚かせると、第15戦日本グランプリでは予選4位(3番グリッドスタート)から、決勝で3位に。常に上位を走り、終盤にはマクラーレンのバトンと熾烈な3位争いを繰り広げた結果だけに、鈴鹿は感動の嵐に包まれた。通算参戦数は76戦(日本人5位)。
【参戦数ランキング】
1位 角田裕毅 100(アルファタウリ、RB、レッドブル)
2位 片山右京 96(ラルース、ティレル、ミナルディ)
3位 佐藤琢磨 91(ジョーダン、B・A・R、スーパーアグリ)
4位 中嶋悟 80(ロータス、ティレル)
5位 小林可夢偉 76(トヨタ、ザウバー、ケータハム)
6位 鈴木亜久里 72(ラルース、アロウズ、リジェ他)
7位 中嶋一貴 37(ウィリアムズ)
8位 中野信治 33(プロスト、ミナルディ)
9位 高木虎之介 32(ティレル。アロウズ)
10位 山本左近 21(スーパーアグリ、スパイカー、HRT)。
そして、小林可夢偉退場から6年の空白期間を経て、アルファタウリから出現した角田裕毅という新たな才能。確実にステップアップしてきた角田だが、決勝では2021年アブダビグランプリの4位が最高。レッドブル昇格後はマシンの挙動に振り回されている状況が続いてるが、ここから挽回し、シーズン最終戦までシートを守れるか、多くの先輩に勝る活躍を、まだまだ期待したい。
※参戦数は予選出走回数でカウント
※6月20日現在の成績
(SDAA編集部)